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偉人列伝

第23回 弘世 現(1904年―1996年)

弘世 現  日本生命保険の社長、会長を務め、同社を世界最大の保険会社に育て上げ、「ミスター・セイホ」と呼ばれた。  成瀬隆蔵氏の6男として東京に生まれ、1928年東京大学経済学部を卒業して三井物産へ入社した。大学在学中に、日本生命の創業家で3代目の社長である弘世助太郎氏の4女芳子さんと結婚し婿養子となった。  44年、日生の4代目社長だった実兄の成瀬達氏に勧められて日本生命に取締役として入社。48年、5代目の社長に就任し、以降34年間の長きにわたり社長を務めた。  この間、業界に先駆けて、戦争で夫を亡くした女性を積極的に営業職員に採用して「ニッセイのおばちゃん」として親しまれる女性主体の保険販売体制の基礎を作った。  商品設計でも死亡時の保障を高める「定期付き養老保険」の開発や全国オンライン網を完成させるなど近代化、合理化に尽力。日本生命を保有契約高、総資産で日本一へと導き、77年には保有契約高で米国・プルデンシャル社を抜き世界一になったこともある。  76年には、米国グリフィス教育財団が、保険の理論や実践面で貢献した人々を称えるために設立したオハイオ州立大にある「保険の殿堂」入りを果たした。  社会文化活動も積極的に取り組み、劇団四季の浅利慶太氏や石原慎太郎氏のスポンサーとなり63年に日生劇場を開設、児童を招いて「ニッセイ名作劇場」を毎年開催し、多くの子供たちに夢と感動を与えた。  1974年勲一等瑞宝章受章。 (肩書は当時)

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弘世 現 「自分が今あるのも先祖のお陰です」。聞き手は本誌主幹の佐藤正忠(1974年) 第2回経済界大賞「特別賞」を受賞。祝賀パーティーで画家の岡本太郎氏と握手(1976年) 左から山下太郎・アラビア石油社長、弘世氏、麻生太賀吉・麻生セメント社長(1964年)
山下太郎氏(左)の話に耳を傾ける弘世氏(中央)と五島昇・東急社長(1964年) 越後正一・伊藤忠商事相談役夫妻の金婚祝賀パーティーにて、佐伯勇・大阪商工会議所会頭(右)と(1980年) 都市対抗野球の決勝戦で、社員とともに汗だくになって応援(1985年) 孫と共に1、2、3と体操に励む(1976年)
世界保険殿堂入りを記念して開かれた激励会にて。左から村上武雄・東京瓦斯社長、佐治敬三・サントリー社長、越後正一・伊藤忠商事会長、瀬川美能留・野村証券会長、弘世氏、永野重雄・日本商工会議所会頭、山内隆博・大和証券会長、瓦林潔・九州電力会長、安藤楢六・小田急電鉄会長、小山五郎・三井銀行会長、高橋寿常・日本生命常務、鈴木治雄・昭和電工社長、欠田冨太郎・旭海運社長(1976年) 「まさか優勝できるとは思わなかった。よくやった」と都市対抗野球初優勝を喜んだ(1985年)