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偉人列伝

第15回 大槻文平(1903年―1992年)

大槻文平  三菱鉱業セメント(現三菱マテリアル)社長、会長を務め、1974年に土光敏夫氏が経団連会長に就任した際、三菱グループから推されて経団連副会長に就いた。79年には桜田武氏の後を継いで日経連会長に就任した。在任中は持論の「ハンブルライフ」(つつましい生活)を背景に生産性基準原理を軸にベア抑制を貫き、労使協調路線の土台をつくった。また87年には第2次臨時行政改革推進審議会(新行革審)会長に就き、財政の健全化や土地対策推進などを提言した。  宮城県伊具郡丸森町出身。28年東京大学法学部卒業後、三菱鉱業(三菱マテリアルの前身)に入社。北海道の美唄炭鉱を振り出しに労務、総務畑を歩み、当時の石炭から石油へのエネルギーの転換期に、炭鉱の整理と大量の人員整理とを行った。労働組合との厳しい折衝にも逃げずに真正面から取り組んだ。63年に三菱鉱業社長に就任し、73年には脱石炭を推進するため三菱セメント、豊国セメントとの3社合併で発足した三菱鉱業セメントの社長に就任し、76年に会長に退いた。また79年から5年間、三菱グループの会長・社長会「金曜会」の代表世話人も務めた。  明治生まれの気骨ある人格で、何事にも筋を通す行動と発言で財界のご意見番として知られた。日経連会長時代には、ベア抑制論に異論を唱えた五島昇(東急社長)氏や佐治敬三(サントリー社長)氏を糾弾し、謝罪撤回させた。また、新行革審会長として行政改革の推進に尽力するとともに、政治改革の必要性を繰り返し訴えた。81年勲一等旭日大綬章受章。 (肩書は当時)

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大槻文平 本誌企画で3大財閥首脳が鼎談。左から日向方齊・住友金属工業会長、大槻氏、小山五郎・三井銀行会長(1976年) 「ハンブルライフとはつつましい生活ということです」。左は本誌主幹の佐藤正忠(1983年) 第2回経済界大賞特別賞受賞。右は祝福する田坂輝敬・新日本製鉄社長(1976年)
箱根カントリークラブにて。左から田坂輝敬・新日本製鉄社長、大槻氏、山内隆博・大和証券会長、永野重雄・日本商工会議所会頭、磯田一郎・住友銀行副頭取、江戸英雄・三井不動産会長、松沢卓二・富士銀行頭取(1976年) 松井弥之助・安宅産業会長と(1977年) 経営評論家の三鬼陽之助氏と(1976年) 石炭からセメントへの転換に成功した経営手腕は高く評価されている