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偉人列伝

第14回 関本忠弘(1926年―2007年)

関本忠弘  NECの社長、会長として通算18年間君臨した。社長に就任した1980年当時は電信電話公社(現NTT)への依存度が高い「電電ファミリー」の中心的会社だった。そこから脱却するため、情報通信事業に主軸を置く業態への変革を目指し、日本を代表するハイテク企業に育て上げた功労者である。特にパソコン事業の「PC19800」シリーズは50%を超えるシェアを獲得し、ガリバーと称された。また「財界の論客」とも知られ、経団連会長就任も取りざたされた。  兵庫県神戸市出身。48年東京大学理学部卒業後、同年NECに入社。65年中央研究所通信基礎研究室長、74年取締役を経て80年に53歳の若さで社長に就任した。小林宏治前社長が提唱した「C&C(コンピューター&コミュニケーション)」路線を継承し、通信、コンピューター、半導体の3事業を同社の柱に成長させた。社長在任中に、東京・三田に新本社ビル「スーパータワー」を完成させた。  94年会長に就任。その一方で、経団連副会長として財界をリードし、98年には豊田章一郎会長の後を受けて、経団連会長の有力候補と目された。本人もやる気十分だったが、残念ながら後任には今井敬・新日鉄会長が就任した。会長の座には届かなかったが、経団連評議会議長として活躍を続けた。  ところが99年、対防衛庁との取引で不祥事が発覚。その責任を取って、創立100周年を目前にして会社や財界の役職から退いた。  議論となると、誰構わず歯に衣着せぬ物言いと明るい性格で財界やマスコミ関係者からの人気が高かった。  また新興企業の育成にも熱心で、ニュービジネス協議会の設立に尽力し、自ら初代会長に就任して若手経営者を応援した。  趣味は、玄人はだしの囲碁。NECカップ囲碁トーナメント、中国版棋戦NEC杯棋賽を創設し、自らも「強気の棋士」としてしばしばプロの棋士を苦しめた。  82年紫綬褒章受章、89年藍綬褒章受章、95年レジオン・ド・ヌール勲章受章、2007年従三位叙位。 (肩書は当時)

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関本忠弘 「関本さんに“苦言”をする会」に集まった蒼々たる顔触れ。前列左から牛尾治朗・ウシオ電機会長、土方武・住友化学工業会長、関本氏、鈴木治雄・昭和電工名誉会長、那須翔・東京電力社長。後列左から瀬戸雄三・アサヒビール副社長、櫻井修・住友信託銀行会長、児島仁・NTT社長、青井舒一・東芝社長、前野徹・東急エージェンシー社長(1992年) 女子ゴルフの岡本綾子プロからもらったサンドウエッジは自慢の一品 1986年にニュービジネス協議会会長に就任。佐川八重子・桜ゴルフ社長(右)、税所百合子・ユリ・インターナショナル社長に挟まれニッコリ
将棋棋士の羽生善治竜王・名人と対談(1996年) 本誌連載でおなじみの小川誠子四段に挑戦(1985年) 「ハイテクを扱っているだけに、常に発展途上という気持ちを持ち続けなければなりません」。右は本誌主幹の佐藤正忠(1993年) 右から椎名武雄・日本アイ・ビー・エム会長、関本氏、クラブなつめの加瀨文惠ママ(1996年)
井植敏・三洋電機社長と「国際貢献と企業のあり方」について語り合う(1992年) 社長時代には10年にわたってパソコン事業をバックアップ。通信と並ぶ主力事業に育て上げた