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偉人列伝

第12回 平岩外四(1914年―2007年)

平岩外四  東京電力社長、会長を務めた、第7代経団連(現日本経団連)会長。1990年に斎藤英四郎氏(新日鉄会長)から会長ポストを引き継ぎ、新任の副会長には従来の重厚長大企業の枠にとらわれず、歌田勝弘・味の素名誉会長、中内ロ4・ダイエー会長兼社長、田淵節也・野村証券会長らを指名した。その矢先、金融・証券スキャンダルが起きたことを受けて「企業行動憲章」を制定、企業モラルの確立を訴えた。  在任中の93年には細川護熙連立政権が誕生したが、これを機に政党への政治献金仲介の廃止を決定。また同年政府に提出された「平岩レポート」(経済改革研究会の報告書)は、規制緩和や金融資本市場の活性化などを提言した。  愛知県常滑市生まれ。39年東京帝国大学法学部を卒業後、東京電灯(現東京電力)に入社した。41年陸軍の召集を受けニューギニア戦線の部隊に配属され終戦後復職。  本社総務部秘書課時代に生涯の師である木川田一隆氏(後の社長)の目にとまり、55年に総務課長に就任、以来総務畑を中心に歩み、業界や政界に幅広い人脈を築いた。71年常務、74年に末席常務から一躍副社長に抜擢され76年に社長に就任した。84年に会長、93年相談役。  78年から経団連副会長を務め、86年には稲山嘉寛会長(新日鉄)の後を継ぐ最有力候補と目されたが、稲山氏が指名したのは同じ新日鉄の後輩、斎藤英四郎氏だった。この人事には財界の一部から不満の声が上がったが、その4年後に会長に就任した。  公職では国家公安委員会委員、経済審議会会長を歴任、また宮内庁参与を務め2006年5月まで天皇・皇后の助言役を務めた。  財界随一の読書家として知られ自宅の蔵書は2万数千冊に上った。また「財界の良識」ともいわれ、名著を読破した深い思索と幅広い教養、それに温厚で誠実な人柄で、多くの財界人から慕われた。  1987年名誉大英帝国勲章受章、2006桐花大綬章受章。 (肩書は当時)

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平岩外四 美智代夫人と(1989年) 「1日1ページでも1行でも、本を開かない日はないですね」。右は本誌主幹の佐藤正忠(1985年) 理事長を務めた大平正芳記念財団の設立パーティーで。左は鈴木善幸元首相、右は福田赳夫元首相(1985年)
大平正芳元総理を偲ぶ会にて(1986年) 自宅近くのバス停前で(1980年) 2万数千冊の蔵書の中でも特に大佛次郎の作品が好きだった(1989年)