JavaScript対応ブラウザで表示してください。

偉人列伝

第10回 盛田昭夫(1921年―1999年)

盛田昭夫  井深大氏と共にソニーを創業し、半世紀で世界有数の巨大エレクトロニクス企業に育て上げた国際派の経営者。経団連副会長のほか日米賢人会議、日米財界人会議などでも活躍し、米タイム誌が選ぶ「20世紀に最も影響力があった経済人」、「20世紀の100人」にそれぞれ日本人で唯一、選ばれた。  愛知県常滑市生まれ。造り酒屋の長男として生まれ、1944年大阪帝国大学理学部を卒業。戦時中、海軍技術中尉の任官中に、「技術研究会」で天才的技術者として知られていた井深大氏(後にソニー社長)と出会う。戦後の46年、井深氏らと共に東京通信工業を設立。社員数二十数人からのスタートだった。技術の井深氏に対して、営業や資金調達など経営全般で活躍した。55年に「ソニー」ブランドで発売したトランジスタラジオが大ヒット、58年には社名もソニーに統一。59年副社長に就任し(50年から井深氏が社長)、71年に社長、76年に会長。この間、60年にはCBSと提携し音楽業界に参入、89年にはコロンビア映画を買収するなどハードとソフトの両面で業容を拡大させた。町工場からグローバル企業へ発展したソニーはジャパニーズドリームの体現と称賛された。経営面では61年に、日本企業としては初めて連結決算を導入し、米国で株式公開を果たしたことが特筆される。「ウォークマン」など独創的なアイデアと技術力で数々のソニー神話が生まれたが、一方で家庭用VTRの規格統一問題では、独自のベータ方式がVHS陣営に敗れる痛恨事もあった。  言動も多彩だった。86年に『メイド・イン・ジャパン』が世界17カ国で出版され、石原慎太郎参議院議員との共著『NOと言える日本』もミリオンセラーになるなど、世界に大きな反響を巻き起こした。経団連の次期会長候補の本命だったが、その矢先の93年、脳梗塞に倒れて療養を余儀なくされた。99年、都内の病院で逝去。91年勲一等瑞宝章受章、92年名誉大英帝国勲章受章。 (肩書は当時)

フォトギャラリー

盛田昭夫 ワコール・塚本幸一郎に招かれて大文字焼きを鑑賞。左は松園尚巳・ヤクルト本社社長(1972年) 電子スチルカメラ「マビカ」を発表(1981年) 近藤鉄雄・経済企画庁長官との対談では、「内需拡大を図れば空洞化は心配ない」と力説(1987年)
イラストレーターの山藤章二氏とはヒット商品を生み出す発想力について語り合う(1982年) 井深大名誉会長(左)とは100%信頼し合っていた 本誌主幹・佐藤正忠のインタビューでは「社長になるためには”サムシング”がないといけない」と発言(1983年) ドラマ「おしん」の大ファンだったことから、脚本家・橋田壽賀子氏との”異色対談”が実現(1993年)
大賀典雄氏(中央)の社長就任記者会見で(1982年) 持ち前の好奇心とバイタリティーで数々のヒット商品を生み出した国際派経営者だった