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偉人列伝

第21回 梁瀬次郎(1916年―2008年)

梁瀬次郎  輸入車販売の草分けとして戦後の輸入車業界の拡大に大きな功績を残し、ヤナセの社長、会長として同社を国内最大の自動車輸入元、販売会社に導いた。日本自動車輸入組合(JAIA)の前身である輸入自動車協会会長などを歴任、業界の地位向上、発展に尽くした。  東京都生まれ。1938年、慶応義塾大学経済学部卒業後、父・梁瀬長太郎氏が15年に設立した梁瀬自動車(現ヤナセ)へ入社。前年の14年に国の為替管理強化による自動車輸入の中止により、各種自動車の車体や特殊車体の製造に携わった。  45年、社長に就任し、国産小型3輪自動車などの販売、48年GM(ゼネラル・モーターズ)の自動車全車種の販売権を得て、輸入販売を再開した。以後、52年にメルセデス・ベンツ車、54年にフォルクスワーゲン車の販売権を獲得し、61年にボルボ車販売、67年にアウディ車全車種の日本総代理店など、戦後の自動車輸入販売の先駆となり、輸入車販売大手ヤナセの基礎を築いた。  また69年には乗用車の輸入自由化に伴ってパーツセンターを設立、部品供給やアフターケアで万全の体制を敷いた。  85年、社長を退いて会長になったものの87年には社長を兼任。93年には娘婿の稲山孝英氏(元経団連会長・稲山嘉寛氏三男)が社長に就任して会長へ。  90年代後半から2000年代初頭にかけて新車販売台数が低迷し、創業家以外から社長を招くなど苦難の歴史もあった。02年には代表権を返上して取締役名誉会長になり、同年「日本自動車殿堂」に選ばれた。  04年には世界の自動車産業の発展に貢献した人物を表彰する「米自動車殿堂」に5人目の日本人として選出されたが、日米両国での殿堂入りはホンダ創業者の本田宗一郎氏に次いで2人目。  趣味の絵画や写真、随筆の腕前はいずれも玄人はだしで、趣味の人でもあった。87年勲二等瑞宝章受章、93年紺綬褒章受章。 (肩書は当時)

フォトギャラリー

梁瀬次郎 キャディラック・セビルの発表会で、エンジンルームをのぞき込む(1975年) 「リタイアしたら、世界各国の夕日を撮りにいきたいんです」。聞き手は本誌主幹の佐藤正忠 将棋の升田幸三九段との対談では、“憂国の士”同士大いに盛り上がった(1982年)
展示会の現場で社員の意見を聞く(1971年) 稲山孝英副社長とともに記者会見に臨む(1975年) 輸入車ショーの会場でメルセデスベンツ日本のライナー・ヤーン社長と握手を交わす(1995年) メルセデスベンツの金融子会社設立披露パーティーで(1992年)
帝国ホテルで開かれた「ヤナセインペリアルショー」を訪れた落語家の林家三平師匠と(1971年) 1974年には長年にわたるドイツとの経済・文化交流が認められて功労勲章一等功労十字章を授与された