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偉人列伝

第20回 塚本幸一(1920年―1998年)

「社長を育てるには、高額の授業料が必要なんです」。聞き手は本誌主幹の佐藤正忠  戦後間もなくワコールを創業し、当時、日本で馴染みのなかった婦人下着事業を軌道に乗せ、同社を世界ブランドの企業に育て上げた。また京都商工会議所会頭や関西経済連合会副会長などを歴任し、地域経済の発展に尽力した。  1920年、繊維問屋を営んでいた家の長男として宮城県仙台市に生まれる。38年、両親の出身地である滋賀県にある「近江商人の士官学校」と呼ばれた滋賀県立八幡商業学校を卒業。その後、陸軍に入隊し中国やビルマ(現ミャンマー)などを転戦し、46年に個人商店の和江商事(ワコールの前身)を設立。49年に株式会社に改組し、ブラジャーの製造・販売を始めた。翌50年には大手百貨店との取引を開始。この時に、将来の世界企業を目指した10年一節の「50年計画」を立てた。 /  その計画では、50年代には「国内市場の開拓」、60年代では「国内市場の確立」、70年代には「海外市場の開拓」、80年代に「海外市場の確立」、そして90年代は「世界企業の実現」という壮大な目標を掲げた。  しかし、当時の女性は羞恥心から新しいタイプの下着に消極的で、世間の認知度が高まらなかった。そこで営業方法を転換し、取引先を回って高島屋京都店をはじめとして徐々に取引先を増やすなど、地道な努力を重ねて事業を軌道に乗せた。そしてついに同社を世界的企業へと導いた。  83年、京都商工会議所会頭に就任し「文化都市・京都」の実現に尽力した。また94年、「平安建都千二百年」の際には千二百年記念協会副会長として、各種記念行事や京都市営地下鉄東西線開業などの関連事業を成功に導いた。  豪放磊落、そして細やかな心の持ち主で、社内外を問わず多くの人を魅了した経営者であった。  1990年勲二等瑞宝章受章。 (肩書は当時)

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「社長を育てるには、高額の授業料が必要なんです」。聞き手は本誌主幹の佐藤正忠 「ワコール麹町ビル」完成披露パーティーで福田赳夫元首相と握手(1984年) 京セラの稲盛和夫社長と 仙台で開かれた第21回日米市長・商工会議所会頭会議に京都商工会議所会頭として参加。写真右は上野豊・横浜商工会議所会頭夫妻(1991年)
第19回財界名人会で常磐津「山姥」を熱演(1975年) 創業40周年謝恩パーティーで歌手の中尾ミエさんとマイ・ウェイを熱唱(1986年) サントリー・オープンのアマ・プロチャリティートーナメントで歌手の五木ひろし氏(中央)、青木功プロとラウンド(1976年) 創業者オーナーで組織する「初心会」の会合で。2列目右から2人目の塚本氏とその隣の千宗室氏が世話役となって、前列右から3人目の加賀美勝・新菱冷熱工業社長の藍綬褒章受章を祝った(1972年)
親友の千宗室氏と。「将来は日本のための仕事をやりたいと2人で誓い合っているんです」(1976年)