JavaScript対応ブラウザで表示してください。

偉人列伝

第26回 早川種三(1897年―1993年)

早川種三  興人など、多くの倒産会社を立て直し“再建の神様”と呼ばれた。  土建業で成功し、後に宮城県・仙台市長も務めた智寛氏の三男として生まれた。慶応義塾大学経済学部に進んだものの、在学中は登山やお茶遊びに明け暮れて5回落第し、卒業までに10年もかかった。  登山仲間と共にペンキ屋を起業して順調なスタートを切ったが、後に経営が行き詰まった取引先の東京建鉄(現日本建鉄)の役員になり、再生を請け負う。これが“再建の神様”のスタートだった。  その後、1964年に日本特殊鋼(現大同特殊鋼)、71年に大手農機具メーカーの佐藤造機(現三菱農機)が倒産した後、それぞれ管財人に迎えられた。特筆すべきは75年、当時「戦後最大の倒産」と経済界を震撼させた大手化学繊維メーカー・興人の管財人に就任、成功は覚束ないと見る人が多い中、その風評を克服して見事に再生を成し遂げたことである。  80年、興人の管財人を辞任した後は経営の第一線から身を引いた。それまでに早川氏が再建した会社は、相談役になったケースを含めれば延べ11社に上る。  再建に当たっては人員の合理化を前提としない。まずは適切な人事管理を徹底して社内の人材を登用し、労使関係の安定を図る。そして銀行などに金融債権を棒引きにしてもらい、その後は新商品の開発や、販路の拡大を目指すというオーソドックスなものである。再建を終えた後は役員に残ることもなく、出処進退は鮮やかだった。  趣味は学生時代から熱中していた登山。日本山岳界史上初の海外遠征となったカナダの未踏峰アルバータの初登頂に挑み、成功させた。小唄は「名人」とまで呼ばれ、多趣味で粋な人物であった。1971年勲二等瑞宝章受章。 (肩書は当時)

フォトギャラリー

早川種三 興人社員の前で訓辞(1976年) 本誌主幹・佐藤正忠と握手(1980年) 将棋棋士の升田幸三氏と本誌で対談。「学校の勉強はしませんでしたが、山登りに関してはよく勉強しました(笑)」(1981年)
東北出身の経営者の集まり「みちのく会」でのひとコマ 梅子夫人と自宅近所を仲良く散歩(1978年) “理に従えば、これ豊か、欲に従えば、これ貧す”が座右の銘(1978年) マルマン社長の片山豊氏と本誌で対談(1976年)
愛犬ジュディーと子犬を見る目は、まるで実の子供を見るように優しい(1978年) 世の経営者が束になってもかなわない迫力と、やさしさを併せ持つ人物だった