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偉人列伝

第28回 今里廣記(1907年―1985年)

今里廣記  財界「官房長官」の異名を取り、戦後の政界と財界のパイプ役として奔走した。経営者としてベアリングの専業大手の日本精工社長を歴任し、その他、石油・天然ガスなどの資源開発や情報通信に情熱を傾けた。財界幹部として八面六臂の大活躍で、戦後の政治、経済関連の主要な事件や日本の進路にかかわる重要なプロジェクトには必ず参画した。  長崎県生まれ。25年3月県立大村中学校(現県立大村高等学校)を卒業後、家業の造り酒屋「今里酒造」を継いだ。家業に専念する毎日だったが、その真摯な態度が野見山譲治氏(後の西日本金属工業会長)の目に止まり、共同出資で九州採炭を創業した。しかし、稀代の詐欺師に引っ掛かり、39年夜逃げ同然で上京した。  軍需産業の日本航空機工業常務、日本特殊鋼材工業専務を歴任し、46年両社の合併により日本金属産業が発足し、社長に就任した。  48年、その経営手腕を買われ、労働争議と経営危機でゆらぐ日本精工の社長に就任し、わずか2年で経営を軌道に乗せた。  73年の第1次石油ショックの際、中東アブダビ沖の海底油田の開発利権を7億8千万ドルで獲得し、国策会社ジャパン石油開発の発展の礎を築いた。また、電電公社民営化に伴うNTT設立委員会委員長として、民間人の真藤恒氏(石川島播磨重工業元社長)の社長起用を求め、関係者の根回しに尽力した。  戦後、経済同友会創立の中核メンバーの1人であり、後に代表幹事となった。政財界を舞台に、抜群の行動力と調整力を発揮し、自由奔放に活躍。それを可能にしたのが華麗な人脈と情報収集力、そして気配りと根回しだ。  当時、財界四天王と呼ばれた小林中、永野重雄、桜田武、水野成夫の各氏と親交を持ち、盟友の中山素平氏とは二人三脚で難問を解決した。また吉田茂、池田勇人、田中角栄、中曽根康弘ら歴代総理や財界長老とも交流を深めた。  無類の人間好きで、中堅企業の経営者を集めて「今里学校」を開き、後輩の育成にも熱心であった。 (肩書は当時)

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今里廣記 サイクリングマシンで足腰を鍛える(1976年) 第二電電企画設立披露パーティーで。左は盛田昭夫・ソニー会長(1985年) 土光敏夫・経団連会長と
鹿内信隆・サンケイ新聞社長と 「一番大切にしていることは」と本誌主幹・佐藤正忠が尋ねると「誠ということかな……」とぽつんと言った 世界アマチュア囲碁選手権戦記念「国際親善対局」でイタリア人棋士と対局(1984年) 左から大槻文平・日経連会長、桜田武・日清紡績相談役、今里氏(1982年)
今里氏が歩んだ戦後は、そのまま日本の財界史でもあった 永野重雄・日本商工会議所会頭には特にかわいがられた(1971年)