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偉人列伝

第31回 日向方齊(1906年―1993年)

日向方齊  住友金属工業の社長、会長として24年間君臨し、同社を世界有数の鉄鋼メーカーに育て上げた。また関西経済連合会会長として「関西活性化のために」を旗印に、西の財界最高実力者として経済界をリードした。
 山梨県西八代郡下部町(現・身延町)出身。1931年東京帝国大学法学部を卒業後、住友合資会社に入社。41年4月から10月まで短期間ながら国務大臣小倉正恒氏の秘書官を務める。その後住友本社に復帰、44年住友金属工業に移籍した。太平洋戦争の軍需ブームに乗り、同社の企業規模は膨れ上がっていたが、終戦を機に受注が激減、生き残りのために大胆なリストラを敢行して窮地を救った。
 49年取締役。51年常務となり、小倉製鋼との合併を手掛けて高炉を有する銑鉄一貫体制を確立した。さらに和歌山製鉄所の拡張で高炉を増築し、発展の基盤を固めた。
 62年社長に就任。茨城県に鹿島製鉄所を建設して和歌山製鉄所との東西2拠点体制を整備するなど、同社を世界有数の高炉メーカーに発展させた。
 65年の鉄鋼不況の際、粗鋼生産の割り当て問題で当時の通産省の行政指導に強く抵抗、いわゆる「住金事件」を起こし、“けんか方齊”の異名をとった。
 77年から87年まで関西経済連合会会長。関西新空港の建設を先頭に立って推し進め、国の財政が厳しい中、当時の中曽根康弘首相の同意を取り付け、民間企業も出資する株式会社方式での建設を実現した。
 またもうひとつの関西ビックプロジェクトである関西文化学術研究都市の建設にも貢献し、「関西復権」に尽力した。
 山梨県の貧しい農家に生まれた苦労人であったが、人を引き付ける人間臭さ、温かさは多くの政財界人から慕われた。
 1987年勲一等旭日大綬章受章。 (肩書は当時)

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日向方齊 「一番うれしかったのは、組合から記念品と感謝状をもらったことなんです」。聞き手は本誌主幹の佐藤正忠 自らの社長時代に完成させた鹿島製鉄所にて(1978年) クラブ「太田」の太田恵子ママの引退パーティーにて。弘世現・日本生命社長(左)、波多野一雄・住友銀行副頭取(中央)と歓談(1973年)
関西国際空港建設促進パーティーにて。左から細田吉蔵運輸大臣、日向氏、古川進・大阪商工会議所会頭(1984年) 娘夫婦の家族と団らんのひとときを過ごす(1978年) 大槻文平・三菱鉱業セメント会長(左から2人目)、小山五郎・三井銀行会長(右)と本誌で座談会(1976年) 参議院選挙に出馬する森下泰・森下仁丹社長(右から2人目)を励ます会にて。左から長谷川周重・住友化学社長、野田孝・阪急百貨店社長、芦原義重・関西電力会長、森下氏、日向氏(1973年)
第13回関西財界セミナーでのひとこま。右から日向氏、平野順次・栗本鉄工所社長、弘世現・日本生命社長(1975年) “ケンカ方齊”ともいわれたが、こんな柔和な面もあった