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偉人列伝

第33回 越後正一(1901年―1991年)

越後正一  伊藤忠商事の社長、会長を歴任し、繊維商社であった同社を、日本を代表する総合商社へと導いた。また綿糸相場で長年の経験と勘を生かして、1950年、51年の繊維市況の混乱期に、当時の金額で10億円に上る利益を上げ、“相場の神様”の異名を取った。  24年神戸高等商業学校(現・神戸大学)を卒業後、伊藤忠商事に入社し、戦前の中国での繊維貿易に携わった。常務、専務、副社長を経て60年社長に就任した。  社長時代には、ソ連での抑留生活を終えて帰国した元大本営参謀・瀬島龍三氏(後に伊藤忠商事会長)を重用し、積極的に海外資源開発に取り組み、アラビア石油への資本参加や東亜石油への経営参加など、非繊維部門の拡大と国際化に取り組み、同社の総合商社化に道を開いた。  社長在任14年間に高度経済成長の波に乗り、資本金を6・5倍、売上高を10倍に、グループ会社数を2・5倍(125社)にするなど同社の急成長に貢献した。  74年会長に就任し、経営難に陥った安宅産業との合併を戸崎誠喜社長と共に指揮し、住友銀行などとの折衝に当たった。  財界活動では経団連常務理事を務めるほか、大阪商工会議所副会頭として、74年に国立文楽劇場の大阪誘致に尽力したのをはじめ、76年にはイースタンストッフ協会(現・トータルファッション協会)を設立し初代会長に就任。89年大阪で開催された「ワールドファッションフェア89」の実現にも繊維業界のまとめ役として活躍した。  また西本願寺門徒総代や茶道裏千家老分など多くの文化関係役員も務めた。  1982年勲一等瑞宝章受章。(肩書は当時)

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越後正一 「サントリー・オープン」アマ・プロチャリティー・トーナメントに出場(1977年) 盛田昭夫・ソニー会長と(1989年) 三木武夫副総理と本誌で対談(1974年)
第14回経済界大賞の寿賞を受賞。審査委員の名和太郎氏と握手(1989年) 経済界大賞の祝賀パーティーにて。右から坂野惇子・ファミリア副会長、越後氏、本誌主幹の佐藤正忠、越後氏夫人のきみ子さん(1989年) 裏千家十段位・老分授与式後の1枚。左から越後氏、千宗室氏、本誌主幹の佐藤(1972年) 森下泰・森下仁丹社長と(1977年)
1974年に社長を戸崎誠喜氏(左)に譲り、会長に就任 グループ会社が経営する大阪市内のボウリング場に現れ、ゲームを楽しんだ(1972年)