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偉人列伝

第35回 松園尚巳(1922年―1994年)

松園尚巳  ヤクルトで知られる乳酸菌飲料メーカー「ヤクルト本社」の元社長で、プロ野球球団「ヤクルトスワローズ」のオーナー兼社長、長崎新聞社長などの要職を歴任した。双子の兄の直巳氏も後に球団オーナーを務めた。
 長崎県三井楽町(現・五島市)出身。1945年法政大学専門部を中退後、海産物商などを経て、53年に長崎県で乳酸飲料「ヤクルト」の販売を始めた。
 もともとヤクルトとは、京都帝国大学(現・京都大学)医学部の代田稔博士が医学生時代に発見した特殊乳酸桿菌で、「ヤクルト」と商標登録した。代田博士はヤクルトの普及を願い、製造販売権を希望する者に分け与える方針を取った。全国から希望者が殺到する中で松園氏もそのひとりだった。
 56年に関東ヤクルト製造の社長となり、翌57年ヤクルト本社総務部長、70年社長に就任、全国の販売会社の整理統合などに手腕を発揮し、九州地方から全国への乳酸菌飲料「ヤクルト」の普及に尽力した。さらに「ジョア」「ミルミル」等の新製品を相次いで市場に投入した。
 特筆すべきはその販売手法。主婦層を中心とした全国約7万人に及ぶ「ヤクルトおばさん」を組織化し、家庭・法人に販売網を拡大した。また66年から着手した海外への事業展開でも同様の手法が用いられ、特にブラジルでは顧客一人ひとりに浸透する販売網を築き成功を収め、同社が世界的企業となる礎を築いた。
 68年にはプロ野球球団「サンケイアトムズ」(現・東京ヤクルトスワローズ)を買収し、オーナー兼社長に就任し、食品業界から初めてプロ野球進出を果たした。
 財界活動としては、経団連評議員、経済同友会幹事などを務め、バイオテクノロジー研究の推進に尽力した。さらに78年の造船不況で経営危機に陥った佐世保重工救済のため中山素平氏、今里廣記氏らとともに来島どっくの坪内寿夫社長の担ぎ出しを図るなど、“財界の裏方”として活躍した。
(肩書は当時)

フォトギャラリー

松園尚巳 「河村三郎君を励ます会」でのひとコマ。左から中安閑一・宇部興産社長、岸信介元首相、松園氏(1972年) ヤクルトスワローズ日本一の優勝パレードにて。左は鹿内信隆・産経新聞社社長(1978年) ワコール・塚本幸一社長の自宅で、中内功・ダイエー社長とくつろぐ(1972年)
セ・リーグ初優勝を遂げ、ヤクルトの全国的知名度は大幅にアップした。左は広岡達朗・ヤクルトスワローズ監督(1978年) 牛尾治朗・ウシオ電機社長と 「じっと耐えていく精神力を玄界灘で鍛えられました」。聞き手は本誌主幹の佐藤正忠(1985年) 徒手空拳で“ヤクルト王国”を築いた立志伝中の人物だった