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偉人列伝

第36回 大山梅雄(1910年―1990年)

大山梅雄  数多くの企業再建を手掛け、「再建の神様」と呼ばれた。再建に際しては、同氏独特の経営理念である「入るを図って出づるを制す。ムダを省き出費を抑えてカネを作り、それを有効に活用する。そのために当然、勉強やアイデアが必要となる。この必要という・こやし・があれば、カネという名のタネはぐんぐん育つ」を実践し、いずれも短期間で再建を軌道に乗せた。
 東京都生まれ。1933年立正大学経済学部卒業後。バルブ工場に勤務後、36年大山製作所を創業した。56年経営危機に陥っていた東洋製鋼の社長に就任し、再生に成功したことから多くの企業から再生を依頼され、宮入バルブ製作所、ツガミや池貝鉄工など、主に機械メーカー数十社の経営を立て直した。
 東洋製鋼の再生に際してはまず同社の株を60%取得するために、自宅を売って資金を作ることから始めた。株を持つ会社が再生できなければ、大損することになる。「自ら進んで背水の陣を敷く」という信念に基づいた「まず再建会社の株を取得する」方式は、その後の長い再建請負人の人生で、忠実に実行された。
 大山氏は72年、東洋製鋼の定款を変更し、事業目的に「有価証券の売買」を加えた。株式売買による利ザヤ稼ぎ、配当取得を業務としたことで、一時は「仕手」、「買い占め王」、「大山機関」などさまざまな異称でマスコミを賑わせた。
 会社再建の処方箋として、「銀行など金融機関と労働組合とはうまく付き合い、公私混同を避ける、社長閥をつくらない」を提唱し自ら実践した。同氏の手掛けた主な再建企業のうち、死の直前まで池貝鉄工をはじめツガミの関連会社などを含め8社の社長、そして日本工作機械工業理事などを務め「生涯現役」を通した。74年私財を投じて大山健康財団を設立し、予防医学の振興にも力を注いだ。
 仕事を離れて、週1回ディスコに行って若い女性と踊ったりする一面もあった。
 85年勲三等瑞宝章受章。(肩書は当時)

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大山梅雄 評論家の扇谷正造氏とがっちり握手(1977年) 100円以上の出金にはすべて自ら目を通し、社長印を押していた(1978年) 「相手の気持ちを考えて、先手を打って、こちらの誠意を示すことが商売では重要です」。聞き手は本誌主幹の佐藤正忠(1975年)
冷水で体を引き締めるのが毎朝の日課(1978年) テンポラリーセンター10周年記念コンサートの会場で“フィーバー”する(1986年) 将棋棋士の升田幸三氏と本誌で対談(1979年) 第3回「経済界大賞」敢闘賞を受賞。左から豊田章一郎・トヨタ自動車工業副社長、大山氏、田口利八・西濃運輸社長、西端行雄・ニチイ社長(1977年)
瀕死の企業に乗り込み、荒療治も辞さぬ方法で、物の見事に短期再建を果たした“企業再建王”だった