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偉人列伝

第37回 岡田 茂(1914年―1995年)

岡田 茂  老舗百貨店・三越の社長として10年にわたって社長に君臨し、「岡田天皇」と称されるほどの超ワンマン体制を築いた。しかし1982年に起きた“ニセ秘宝展事件”などで社会的批判を受け、三井グループ内からも退陣を求められるにおよび、同年9月の取締役会で解任された。
 京都府出身。38年に慶応義塾大学文学部卒業後、三越に入社。宣伝部一筋で催事企画などに才能を発揮し、68年に銀座支店長に就任すると宣伝部の経験を生かして若者向けの路線に転換、売り上げを急増させた。さらにヌード写真展の開催や、女子店員の制服にミニスカートを採用するなど、斬新な発想を打ち出した。
 72年に社長に就任し、翌73年には創業300年の記念式典が開催された。長期政権でわが世の春を謳歌していた82年、東京・日本橋本店で開いた「古代ペルシャ秘宝展」で偽物騒ぎ起こった。それをきっかけに納入業者に商品を押し付ける「三越商法」や、“三越の女帝”と呼ばれたアクセサリー会社社長への不当な利益供与、強大な人事権を背景に反対派を左遷する不平等人事などのワンマン経営に批判が集中した。
 三井グループのルーツ企業で起きた不祥事に、グループ長老で三越の社外取締役でもあった小山五郎・元三井銀行社長が立ち上がった。同年9月の取締役会で、ついに岡田氏の腹心の部下が造反、16人の取締役全員が社長解任を決議した。この際、岡田社長が発した「なぜだ」は、当時の流行語となった。その後、特別背任罪で逮捕、起訴され、1、2審とも実刑判決を受け、最高裁に上告中だったが、死去により控訴は棄却され判決が確定しないまま裁判は終結した。
 ベランメエ口調で、好きな歌は「網走番外地」。強力なリーダーシップで三越を牽引した岡田氏の腕力への評価は高いが、老舗ブランドに寄りかかって長年にわたって“独裁”を許した同社の企業体質には問題があった。事件後、三越が信用を回復するまでは長い年月がかかり、2008年には伊勢丹と経営統合するに至った。(肩書は当時)

フォトギャラリー

岡田 茂 女優の岡田茉莉子さんと談笑 三越創業300年記念式典で手締めの音頭を取る(1972年) 「岡田茂氏を壮行する会」にて。右から小山五郎・三井銀行社長、永野重雄・日本商工会議所会頭
本誌主幹・佐藤正忠のインタビューに答える(1975年) 「第7回世界小売業者会議東京大会」で講演(1980年) 中内功・ダイエー社長と本誌で対談(1972年) 入居希望者がなかったサンシャインシティ(東京・池袋)に出店。今里廣記・日本精工相談役(右)を案内して店内を回る(1981年)
大英勲章授賞パーティーで、女優の栗原小巻さんから祝福を受ける(1975年) 退陣の声が高まりつつある中で、戦死した先輩社員の供養に赴く(1982年)