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偉人列伝

第39回 鹿内信隆(1911年―1990年)

鹿内信隆 一代でフジテレビ、ニッポン放送、産経新聞を中核とする「情報帝国」を築き上げた立志伝中の人物。  北海道生まれ。1936年早稲田大学政経学部卒業後、倉敷絹織(現・クラレ)に入社。38年日中戦争に応召し、幹部候補生として陸軍経理部へ配属された。この間、後に“財界四天王”と称された桜田武氏(第4代日経連会長)や水野成夫氏(後にフジテレビ初代社長)の知遇を受け、財界人脈を築いた。除隊後の43年日本電子工業創立に参画し、戦後の公職追放から復帰後、経済同友会の創立に参加した。さらに48年には日経連専務理事兼事務局長に就任し、労働運動の高揚期に労使紛争の処理に当たり“青年行動隊長”の異名を取った。
 その後、財界の後押しでマスコミ界に転じ、61年ニッポン放送、64年からフジテレビジョン、68年から産経新聞の各社長を兼務し、メディアミックスを狙ったフジサンケイグループ会議を発足させ初代議長に就任し、同グループ総帥として君臨した。85年同議長を長男春雄氏に譲ったが、88年に4月に春雄氏が急逝、再び3社の会長と議長に復帰し、89年娘婿の宏明氏にバトンを渡すまでグループを率いた。
 美術愛好家としても知られ、世界で初めて彫刻を主体とした神奈川県・箱根の「彫刻の森美術館」や信州の「美ヶ原高原美術館」などを創設し、日本文化の発展に貢献した。
 90年勲一等瑞宝章受章。(肩書は当時)

フォトギャラリー

鹿内信隆 若手経営者の勉強会の講師として、自らが館長を務める彫刻の森美術館を案内する 本誌創刊5周年記念パーティーで挨拶をする(1971年) 「立派な諸先輩方にかわいがられたのが、私の唯一の“財産”だと思います」。聞き手は本誌主幹の佐藤正忠(1988年)
休日はリラックスした格好でテレビを見ることが多かった 「クラブ太田」の元ママ太田恵子さん(右から2人目)の出版記念パーティーで。右から鹿内氏、太田さん、諸井虔・秩父セメント会長、長岡實・日本たばこ産業前社長(1988年) 箱根彫刻の森美術館に建設した「ピカソ館」オープンに先立ち、常陸宮ご夫妻を案内する(1984年) 豊田英二・トヨタ自動車会長と談笑(1984年)
五島昇・東急グループ総帥の長女の結婚披露宴に出席。鹿内氏の左は堤義明・西武鉄道社長(1971年) 彫刻の森美術館内にある茶室「雲霓(うんげい)」で英子夫人と(1987年)