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偉人列伝

第24回 中山素平(1906年―2005年)

中井素平  日本興業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)の頭取、会長などを歴任。旧山一証券への日銀特融決定、旧八幡、富士製鉄の合併による新日本製鉄の誕生など、日本の産業再編に大きな手腕を発揮し「財界の鞍馬天狗」と称された。  東京生まれ。1929年東京商科大学(現一橋大学)本科卒業後、日本興業銀行に入行。終戦直後、占領軍が「戦犯銀行」として興銀の解体を迫るが、粘り強く折衝して解体の危機から救った。61年から頭取、68年には会長に就任し、興銀を産業界に長期資金を安定供給する基幹銀行に育て上げ「興銀中興の祖」といわれた。  特筆すべきは金融を軸に産業界の再編に果敢に取り組んだことである。頭取時代の65年、山一証券が経営危機に陥ったとき、資本市場への連鎖危機を恐れた中山氏は慎重論を押しのけて日銀特融を提唱し、当時の田中角栄蔵相から特融決断の言質を引き出した。また66年の日産自動車とプリンス自動車工業の合併、さらには70年の旧八幡、富士製鉄の合併に際しては、合併中止を勧告した公正取引委員会を翻意させ、新日鉄誕生の影の立役者となった。副頭取時代の57年から2年間経済同友会代表幹事。  経営の第一線を離れてからは教育問題に積極的に取り組み、臨時教育審議会会長代理を務めたほか、自ら設立に尽力した国際大学の初代理事長に就任した。  筋道を通し、飾らない素朴で誠実な人柄から「ソッペイさん」の愛称で親しまれ、生涯、叙勲を断り続けた。 (肩書は当時)

フォトギャラリー

中井素平 植村甲午郎・経団連会長を団長とした「訪中経済使節団」に副団長として参加。左から中山氏、土光敏夫・東芝会長、芦原義重・関西電力会長、植村氏(1973年) 木川田一隆・元経済同友会代表幹事をしのぶ会で、今里廣記・日本精工会長と木川田氏の思い出を語り合う(1978年) 山下静一・元経済同友会副代表幹事の出版記念会にて。左から平岩外四・経団連会長、山下氏、中山氏(1992年)
東京ディズニーランド開業10周年記念パーティーで。右は高橋政知・オリエンタルランド会長(1993年) 八尋俊邦・三井物産社長と語り合う(1981年) 夏涼しく冬温かい逗子の自宅縁側にて(1979年) 「松下政経塾」開校を記念して植樹(1980年)
シャープな頭脳と行動力、そして出処進退の鮮やかさは見事だった