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偉人列伝

第40回 真藤 恒(1910年―2003年)

真藤 恒  民間出身で初めて日本電信電話公社総裁に就任し、同公社の「親方日の丸体質」脱却に腕を振るい、公社民営化とともにNTT初代社長に就任、同社が世界有数の通信事業会社に成長する基礎を築いた。
 福岡県久留米市生まれ。1934年九州帝国大学(現・九州大学)工学部造船科卒業後、播磨造船所に入社した。60年石川島重工との合併により石川島播磨重工業が発足すると、常務に抜擢され造船部門の最高責任者となり、世界最大級の船の建造などを手掛け、同社を世界一の造船会社に育てた。
 72年社長に就任し、造船不況によって経営の悪化した同社を立て直すために、徹底した合理化と大規模な人員削減を断行した。工学博士でもあったことから「ドクター合理化」の異名を取った。79年、合理化が功を奏したのを機に相談役に退いた。
 81年に同社出身で、真藤氏が師と仰ぐ土光敏夫経団連名誉会長(当時)の要請で、民間人として初めて日本電信電話公社総裁に就任した。就任後、公社の閉鎖性を打破するために社内では、一般的でない「電電語をやめろ」といった意識改革にも取り組んだ。
 85年、民営化したNTTの初代社長となり、88年会長に退くまで、7年半にわたって民営化前後のNTTを陣頭指揮、NTT民営化の立役者となった。
 独占体質と官僚体質に凝り固まっていた巨大組織の改革に強気な姿勢で臨み「独占こそ悪。競争のないところに進歩なし」「政府に頼るな」と主張し、NTTが債券を発行する際、政府保証を返上し、自己責任での資金調達に踏み切った。さらに巨大労組、全電通との合理化交渉や行政、政治との折衝にも剛腕を発揮した。
 88年会長に退いたが、リクルート社へ便宜供与した見返りに、値上がり確実のリクルートコスモス社の未公開株が秘書名義で譲渡されていたことが発覚し、同年12月、引責辞任に追い込まれた。
 翌年収賄容疑で逮捕され、90年東京地裁から懲役2年執行猶予3年、追徴金2270万円の有罪判決を受けた。剛腕経営者にありがちな「ワキの甘さ」で晩節を汚すこととなったが、真藤氏の経営能力については、今でも多くの経済人が評価している。(肩書は当時)

フォトギャラリー

真藤 恒 NTT新会長に就任し、平岩外四氏(前列右から3人目)や田淵節也氏(後列右から2人目)、八尋俊邦氏(前列左から3人目)ら“先輩会長”による激励会でのひとコマ(1988年) 第4回企業広報賞を受賞。前列左から2人目が真藤氏(1988年) 川上哲郎・住友電気工業社長と(1988年)
「“世の中のためになる電電公社”にするためにどうするかを常に考えています」。聞き手は本誌主幹の佐藤正忠(1984年) 三澤千代治・ミサワホーム社長と対談 電線防護のお礼に、子どもたちからもらった文集を手にニッコリ(1981年)