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偉人列伝

第42回 永山武臣(1925年―2006年)

永山武臣  戦後の歌舞伎発展の立役者。歌舞伎俳優の大名跡の復活や、東京・歌舞伎座で、年間を通して歌舞伎だけを上演する興行方式に変更するなど、現在に至る歌舞伎ブームを主導した。さらに海外公演なども積極的に展開し、歌舞伎の世界遺産登録に貢献した。
 東京都生まれ。1947年京都大学経済学部卒業後、松竹へ入社。創業者のひとり、大谷竹次郎社長の薫陶を受け、演劇制作畑を歩み、11代市川団十郎、中村歌右衛門ら戦後歌舞伎の黄金期を支えた名優たちと歌舞伎史に残る舞台を制作した。さらに60年には日米修好百周年記念として実施された米国公演、翌61年旧ソ連公演を成功させるなど、その後も歌舞伎の国際化を進め、世界30カ国以上で海外公演を実現した。
 67年演劇担当取締役となり、78年副社長、84年には前社長の不祥事による退陣で社長に就任した。社長在任中の86年、市川猿之助のスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」を上演、東京、名古屋、京都、再び東京と回る異例の興行日程を断行、大好評を博してファンの拡大につなげた。
 91年の会長就任後も歌舞伎の普及に努め、2001年には尾上松緑、市川海老蔵、坂田藤十郎らの連続襲名を発表し、翌年からの相次ぐ披露興行で若いファンの取り込みに成功した。戦後の大物俳優らの死去に伴う観客離れを独創的なアイデアで食い止めた。
 歌舞伎俳優からの信頼は厚く、数多くの人気俳優の仲人を務めた。一方、俳優の芸に対しては厳しく叱咤激励を行い、誰よりも歌舞伎を愛した経営者であった。86年藍綬褒章受章、95年文化功労者、06年従三位旭日大綬章受章。(肩書は当時)

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永山武臣 第29回長谷川伸賞を受賞。授賞式では大物俳優たちがお祝いに駆け付けたが、この日ばかりは永山氏が主役だった(1994年) 水谷八重子襲名披露パーティーで。左から永山氏、市川團十郎さん、山田五十鈴さん、水谷さん、片岡孝夫さん、寺島忍さん(1995年) 「三田佳子女優生活25歳を祝う会」にて。左から永山氏、中川順・テレビ東京社長、三田さん、岡田茂・東映社長(1985年)
左からファッションデザイナーの森英恵氏、永山氏、牛尾治朗・ウシオ電機社長 本誌で松岡功・東宝社長(左)、浅利慶太・劇団四季代表(右)と座談会を行う(1997年) 復元された九代目市川團十郎の歌舞伎十八番「暫(しばらく)」の銅像の除幕式で。永山氏(左から3人目)の左は十二代目市川團十郎・新之助父子(1986年) 第21回経済界大賞の特別賞を受賞。前列左から2人目が永山氏(1996年)
「渋谷松竹セントラル」オープニングでテープカットを行う(1985年)