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偉人列伝

第43回 山中 鏆(1922年―1999年)

山中 鏆 「ミスター百貨店」、「百貨店経営の神様」との異名を取り、生涯“現場第一主義の経営”を貫いた信念の経営者であった。
 戦後間もなく入社した伊勢丹では、店内を婦人服中心の近代的な売り場に衣替えし、同社のファッション路線の基本を築いた。1976年には経営難に陥っていた松屋の副社長に転じ、社長、会長として経営再建を成し遂げ、90年には東武百貨店に招かれて同社社長に就任した。
 山口県下関市生まれ。44年慶応義塾大学法学部卒業後、いったんは大倉土木(現大成建設)に入社したが、48年に同大出身でアイスホッケー部の先輩でもあった伊勢丹(現三越伊勢丹ホールディングス)創業者の小菅丹治氏の引きで同社へ入社。66年常務、72年専務となり、婦人服に強いデパートに育て上げるとともに、百貨店がメーカーや問屋に商品を作らせる、自主マーチャンダイジングの手法を生み出した。
 76年に、伊勢丹専務から、無配に転落した松屋の副社長にスカウトされ、経営再建に着手した。財務、労務問題で大ナタを振るう一方、“山中村塾”と称される社員との直接対話の中から、OLやヤング層を呼び戻すアイデアが生まれ、その提案が同社の業績を急速に回復させる要因ともなり、後に「松屋中興の祖」ともいわれた。
 90年には池袋西口再開発事業で誕生した売り場面積日本一の東武百貨店社長に就任し、辣腕を振るった。
 伊勢丹の小菅家に始まり松屋の古屋家、そして最後は東武百貨店の根津家に仕えた。実力者と呼ばれるようになっても地位に恋々とせず、さっさと後継者に社長の座を譲って去る「男の美学」を貫いた。その山中氏の出処進退の鮮やかさは多くの経済人を魅了した。(肩書は当時)

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山中 鏆 流通業界の勇士たちが勢揃い。前列左から坂倉芳明・西武百貨店社長、三浦守・東急百貨店社長、後列左から青井忠雄・丸井社長、三矢隆夫・小田急百貨店社長、水島廣雄・そごう社長、山中氏(1981年) 自宅にて、正座して精神統一をはかる(1980年) 松屋浅草新装オープンであいさつ
東武百貨店池袋店オープンニングセレモニーで。
左から根津公一・東武百貨店副社長、水野誠一・西武百貨店社長、山中氏(1992年) フランス・ラコステ社のベルナール・ラコステ社長と談笑(1980年) 「心の温かい人が最後には勝ちますね」。聞き手は本誌主幹の佐藤正忠(1991年) 水島廣雄・そごう社長と「消費不況なんか、恐くない」のテーマで対談(1993年)
本誌で石井智恵子・プランタン銀座社長と対談(1996年) 「朝の一服は格別だよ」。自慢の椅子にあぐらをかいて、次の秘策を練る(1980年)