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偉人列伝

第25回 中田乙一(1910年―1999年)

中田乙一  三菱地所の社長、会長を歴任し、「三菱村」と呼ばれる東京・丸の内のビル賃貸事業への依存体質から脱却するため、住宅・不動産販売事業への参入を決断し、同社を日本を代表する総合不動産会社に育て上げた。  小樽市生まれ。小樽高商(現小樽商大)卒業後、大蔵省を経て、1939年三菱地所へ入社。戦後、丸の内を近代的なビル街に改造する事業で実務を担った。この時、現在の市街地再開発で欠かせない「区分所有」や「総合設計」などの概念の導入を行政に働き掛け、実現へと導いた。  69年、丸の内改造計画を進めた渡辺武次郎氏の後を受けて社長に就任。住宅開発や都市再開発に力を注ぎ、仙台市郊外に計画人口5万人超と、当時としては民間最大規模の住宅開発「泉パークタウン」などの大規模ニュータウンの建設を手掛けた。  72年、東京・内幸町の旧NHK放送会館(現日比谷国際ビル)を高値で落札し、批判が強まる中「会社経営の責任者として、信ずるところに従って決断した」と、毅然とした態度を貫いた。 「丸の内」中心の事業からの脱却を推し進め、横浜みなとみらい二十一地区への進出を決定するなど、総合デベロッパーとしての礎を築いた。  卓越した先見性と識見、実行力を備えた経営者であり、同時に酒とカラオケをこよなく愛した粋人でもあった。 (肩書は当時)

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中田乙一 建築家の黒川紀章氏と本誌で対談(1971年) 「与えられたチャンスをどうつかむかは、本人の努力次第。あとはもう運ですよ」。聞き手は本誌主幹の佐藤正忠(1985年) 大型スポーツ施設落成披露式であいさつ(1975年)
牧野昇・三菱総合研究所会長(左)と談笑(1984年) 視察のため仙台駅に降り立つ(1985年) 自社で開発した泉パークタウンゴルフクラブでプレー(1985年) 〝宿命のライバル〟坪井東・三井不動産社長とプレー後、健闘をたたえ合う(1985年)