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偉人列伝

第19回 八尋俊邦(1915年―2001年)

八尋俊邦 「ネアカ、のびのび、へこたれず」を座右の銘とし、持ち前の明るさと豪放磊落な性格で多くのファンがいた。三井物産の社長、会長時代には、存亡の危機に立たされたIJPC(イラン・ジャパン石油化学。日本とイランの合弁プロジェクト)事業の撤退に奔走し、無事にソフトランディングさせた。1986年、総合商社出身として、初の経団連副会長に選ばれた。  東京都生まれ。40年、東京商科大学(現一橋大学)卒業後、同年三井物産に入社。50年に神戸支店の初代ゴム課長に就任したが、生ゴム相場の大暴落で膨大な損を出し、ヒラ社員に降格された。責任を痛感して辞職を決意したある日、水上達三常務(後の三井物産社長)から激励を受けて一念発起。その後は石油化学部門など、化学品畑一筋に歩み、76年、末席副社長から3人抜きで社長に就任した。  しかし、社運を懸けた総事業費7千億円超のIJPC事業は、80年代に起きたイラン革命とその後のイラン・イラク戦争で撤退を余儀なくされた。撤退方法を誤れば、経営の根幹を揺るがしかねない事態に発展した可能性もあったが、政財界の人脈を生かして傷口を広げずに収拾させることに成功した。 「人の三井」を代表する傑物のひとりであるが、仕事一辺倒ではない。本社前の池でカルガモを相手にしていたかと思えば、ゴルフ場では“明治の大砲ショット”で人を和ませた。ネアカ、屈託の無さ、人に対する思いやりなど、その人柄に魅せられた人は多い。趣味も多彩で、マージャンからカラオケ、ゴルフや歌舞伎と幅広く、日本リトルリーグ野球協会会長を務めるなど、野球ファンとしても知られた。  1987年勲一等瑞宝章受章。 (肩書は当時)

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八尋俊邦 日本ポルトガル協会会長としての功績が称えられ「エンリケ航海王大十字章」を叙勲(1986年) スリーハンドレッドクラブでゴルフ。左から八尋氏、本誌主幹の佐藤正忠、土方武・住友化学工業相談役、徳増須磨夫・住友海上火災保険相談役(1998年) 会長・社長就任パーティーでお祝いに駆け付けた豊田英二・トヨタ自動車会長と(1985年)
赤澤璋一・ジェトロ会長(右)、稲山嘉寛・経団連会長(中央)となごやかに話し合う(1985年) 「ポートワインコンフラリア」レセプションで IJPC問題について直撃する本誌主幹・佐藤正忠に「(三井物産の)100年の歴史を汚さないことが僕に与えられた使命です」と発言(1981年) 座右の銘は「ネアカ、のびのび、へこたれず」(1986年)
ライバルの三村庸平・三菱商事社長から激励を受ける(1985年) 苦境のどん底にあっても、底抜けの明るさで切り抜けてきた経営者だった