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偉人列伝

第18回 鈴木永二(1913年―1994年)

鈴木永二  三菱化成工業(現三菱化学)社長、会長を務め、1987年に大槻文平(三菱鉱業セメント会長)氏の後任として第6代日経連会長に就任した。金融業への偏重や企業の財テクブームに警鐘を鳴らし、地価上昇を招いた企業や金融機関を批判した。  また90年には第3次行革審会長に就き、「経済的規制の原則禁止」を掲げ、再販制度見直しなどの規制緩和策を答申、さらに行政指導の乱用を防ぐ行政手続法の成立や、証券取引等監視委員会の創設にも大きな役割を果たした。  愛知県西尾市生まれ。37年東京商科大学(現一橋大学)卒業後、同年日本化成(後の三菱化成)に入社。間もなく陸軍に召集され、中国、ガダルカナル戦線で8年に及ぶ従軍生活を送る。復員して三菱化成に復社し、74年に社長、82年に会長に就任した。在職中は同社を素材産業から脱皮させ、未来志向の生命工学分野の育成に尽力した。  87年、バブル絶頂期に日経連会長に就任し「目先の利害にとらわれた人はリーダーではない」と財界人を一喝。また労働対策では連合との協調路線を確立し、土地・住宅問題や労働時間短縮の実現に力を注いだ。90年から3年間の第3次行革審会長の時は「中央省庁を6つに統合し、特殊法人を95年までに見直す。郵便貯金を改革し、大幅な規制緩和とそれをチェックする民間有識者によるオンブズマンを設置し、地方分権基本法を制定する」という大胆な行政改革を試みた。その後の相次ぐ政変と官僚の強い抵抗で、行革審の答申は骨抜きにされたが、その精神は今日にも生きている。  1994年勲一等旭日大綬章受章。 (肩書は当時)

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鈴木永二 俊子夫人に見送られて
毎朝出勤(1988年) 「鈴木永二さんご苦労さまでした」の会で花束贈呈を受ける(1993年) 財界4団体トップが勢揃い。右から鈴木氏、石原俊・経済同友会代表幹事、斎藤英四郎・経団連会長、石川六郎・日本商工会議所会頭(1988年)
1986年度の経済界大賞「社会貢献賞」を受賞。「特別賞」受賞の大前研一・マッキンゼー日本支社長と祝福し合う 日経連会長就任直後、本誌主幹の佐藤正忠が直撃インタビュー(1987年) 渡辺美智雄副総理兼外務大臣と(1992年) 亀井正夫・日本生産性本部会長と政治改革と行政改革をテーマに本誌で対談(1992年)
行革推進五人委員会の早朝会議にて。永野健・日経連会長(写真右端)や平岩外四・経団連会長(同右から2人目)らの激励に応える(1992年) 日本のために良かれと思ったことは、自分の信念に従って発言し行動する、一本筋の通った経営者だった